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第2章 妻、病気との闘い

日本に帰ってたら、もう何年たっただろうか?

異国では言葉が通じないということが、どれだけ自分にとって不利に働いたことか。

でも、帰国してからは、日本語を自由に操れるという当たり前のことが、

自分にとって大きな武器だった。 言葉さえ使えれば、何だってできる気がした。

それから、自分でも驚くほどの自信で、今考えるとよく就職できたなと思える

敷居の高い会社に、みごと就職することができた。


しかし、何かが違う・・・やたらと大きな自信と情熱だけで就職できはしたが、

そこに本当の自分の意志があったのかどうか。

ただただ、見せ掛けだけは大きなグラスも、肝心の中身で満たされることは無く、

結局僕は、不甲斐無く、この会社をたったの3ヶ月で辞職した。


職を失い途方に暮れていた頃、以前勤めていた内装会社の上司が創業する

ということで、一緒に働かないかと声がかかった。

異国で一年過したことで、もっと大きな何かが待っていると思った。

でも、現実は甘いものではなかった。

結局僕は、帰国し、再び元の鞘に収まったということだ。


自分の人生はこんなものではない。

そもそも仕事を辞めてニュージーランドへ行ったことも、一度しかない人生で

何かにチャレンジしたいという強い気持ちがあったからこそ実現できた。

でも、時が経てば経つほど、その情熱も薄れ、平凡な生活だが、それはそれで

幸せだと思えた。

数年後にはかわいい息子も授かった。


しかし、この頃から妻の体調に異変が出てきた。

最初は本当に小さな異変だった。

当時、僕は仕事が忙しく、その異変に真剣に取り組んであげることができなかった。

妻は、一人その病気と闘っていた。自分の知らないところでずっと・・・


それにより2人の関係はギクシャクし、原因不明の体調に悩む妻が

すがる思いで辿りついたのが心療内科。

診断は、自律神経失調症だった。


僕はこのときはじめて、妻を理解してあげられなかった自分を悔いた。

これを機に、妻は九州の実家で療養することになり、僕は

妻と息子のいない数ヶ月、家族の大切さを身に沁みて感じることになる。

自分が何のために働いているのかに気付いたのもこの頃なのかもしれない。


苦労の数だけ人は成長する。長い長いトンネルの中でもがいている最中は

いつかその先に光が見えるなんてことは、なかなか信じがたいが、

全てが過ぎ去ってみてはじめて、これが真実であることを実感する。

妻もまた、もっと過酷な状況でそのトンネルを潜り抜け、

療養後、一進一退を繰り返しながらも、今では当時について笑って

話せるぐらいに復活を遂げた。



人生で起こる様々な出来事には、何かしらの意味があるのだと思う。

妻は、自律神経失調症という病気を経験し、克服した。

彼女なら、同じ病気で悩んでいる人の気持ちを理解して上げられるだろう。

僕もまた、妻を通じて学んだ。


今、僕達が扱うリトアニアリネンは、身に付けるものを健康面から捉えた商材だ。

「こども達に健康的な生活を送ってほしい。」

という私達の思いは、過去のこのような経験が根底にあるのだと思う。



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