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第一章 もがいていたあの頃 ~ニュージーランドへ~

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この物語を語り始めるのに、いったい二人の人生のどこまで遡ればいいのだろう。
今と過去を繋ぐ糸に、ぷっつりと切断された切れ目などは無く、全ては生まれたときから僅かずつでも関連しあいながら、現在の自分達へとたどり着いているのでしょうが・・・
そう、「一度の人生をもっと楽しみたい。」という漠然とした感覚が二人に宿ったのは、紛れも無く、1998年、あの場所で夫婦ともに一年を過したあの時だったのではないかと思う。

当時、共働きだった私達は、それぞれの仕事をそれなりに頑張っていた。決して贅沢のできる生活ではなかったけれど、毎週の食費・日用品をなんとか5,000円に押さえ、残りの収入をほぼ貯金に回していたのには、ある目的があったからだ。
当時、それなりに頑張っていた営業の仕事も、決して心から好きだと言えるものではなかった。常にどこかに疑問を抱きながらも、でも、もしかしたら何かが変わるかもしれないと、結局4年間続けては見たが、「石の上にも三年」という教えは、残念ながら自分には功を奏さなかった。ちょうどこの頃だろうか、「理想の自分」と「現実の自分」との狭間にもがきながら、「変わりたい。」という沸々とした欲求が芽生え始めたのは。

元々、海外に憧れの強い夫婦であったので、一度外国で暮らしてみたい、という淡い好奇心を常にどこかに抱いていた。その頃、「ワーキングホリデー」という働きながらにして1年間海外で生活ができるという国の制度があることを知った。そんな生活ができたらいいな・・・というフワフワとした理想は、その頃抱いていた自分自身への不甲斐無さが後押し、いつしか現実味を帯びた「計画」へと変わっていった。幸運なことに、夫もまた同じ気持ちだった。そして、貯金が目標金額に達した1998年9月、スーツケースと未知なる国への夢を抱え、私たちはニュージーランドへと旅立った。夫25歳、妻28歳の時だった。

ニュージーランドは南半球に位置する人口430万ほどの小さな島国。北島と南島に別れ、私たちが住むことを決めたクイーンズタウンは、南島に位置し、ワカティプ湖に面した美しい街だった。南半球であるので、日本とは季節がまるっきり逆で、現地に到着した9月の終わりは、まだまだ冬の寒さの残る春の初頭だった。最初の一ヶ月は、親切なご家族の下ホームステイを体験し、その間語学学校へも通った。卒業後はホテルやスノーボードショップでのバイトを体験し、現地の友達、日本人の友達もたくさんできた。まだ日本にいる頃は、自分達が何か特別なことをしようとしているような感覚でいたけれど、いざ海を渡ってみると、同じような思いでこの街にやってきたという同校以外の日本の若者にたくさん出会った。それでも夫婦でやって来たという変わり者は、私達意外にはあまりいなかったとはいえ、この小さな国の小さな街だけでも、同時期にたくさんの日本人がいるということになると、毎年毎年いろんな国のいろんな街に、何か熱い思いを持った若者達がわんさかいるということになる。自分達の経験したかったことは、決して特別なものではなく、目的よりも勢いが先行した、やや空回りで自己満足な青臭い青春の一ページに過ぎなかったのかもしれない。現に、最初の数ヶ月は新鮮な驚きの連続だったことも、住んでしまえばどれもこれもがすぐに日常となり、あとは、ただゆっくりと時が流れた。相変わらず、ワカティプ湖の美しさだけは最後まで色褪せることはなかったけれど・・・。

現地での細かいエピソードを上げればきりがない。初めて借りたフラットでウェルカムパーティのようなものを開いた時、学校でお世話になった先生がお祝いに持ってきてくれた花が「菊」だったこと。ニュージーランド人は食器を洗剤で洗ったあと、漱がずに布巾で拭くことにショックを受けたこと。現地で調達した車は17年物の鮮やかな青のトヨタだった。バイト先で仲良くなった現地の友達には悪いスラングばかり教わり、冬は毎日のようにスノボに明け暮れた。スキンヘッドの白人に、いちゃもんをつけられ警察沙汰になったこともあった。ヒッチハイクが当たり前の国だった。路肩に立ち親指で合図する若者たちを何人も乗せてきたけれど、スエーデンから来たという一人の青年を拾ったときは、初めて来た見知らぬ街で、まだ宿が決まっていないということに同情し、しばらく家に泊めたっけ。オークランドから一人でやってきたという大阪出身の若者をしばらく泊めたこともあったな。クイーンズタウンは、有名な観光地だった。世界各国からやってくる、バックパッカーズと呼ばれる旅人たちの通過地点でもあり、それによるたくさんの出会いに恵まれたけれど、また、別れもすぐにやってきた。バンジージャンプ、乗馬、ボート、ラフティング何でも挑戦した。クイーンズタウンでの生活にも慣れたころ、愛車で南島一周の旅に出た。バックパッカーズ向けの安い宿舎を転々とし、表情の違うそれぞれの街に訪れた。日本とは随分と様子の違う、大自然が創り出す芸術に何度心を動かされたことか・・・。最初はワーホリ初心者だった私たちも、月日とともにこの国で暮らすことに慣れ、かつて自分たちが日本人の先輩滞在者たちを頼ってきたように、その後次々と日本からやってくる後輩たちにアドバイスする立場となった。一年という限られた時間の中では、出会いと別れが目まぐるしくやってくる。一足先にビザが満了し、日本に帰って行くたくさんの先輩たちを送り出した。バスの窓に映る彼らの涙を仰ぐたび、その涙が彼らの今後の人生に何をもたらすのだろう、と思いを巡らせ、そしてとうとう、自分たちがその時を迎えたとき・・・同じ思いは自分自身に向けられた。

この一年で、自分は何を得たのだろうか。英語力がついた。たくさんの出会いがあった。他国の文化を知り、日本の良さに気づいた・・・いろいろと思い当たることはあっても、今の自分、リネンキッズ・ジャパンを立ち上げた自分に直接結びつく決め手となるようなものは、この時点でまだ何もない。異国で生活したとは言え、数ある国々の中の一国にほんの短期間滞在したというだけで、日本以外の世界の一部をほんの少し垣間見たに過ぎない。でも、ニュージーランド滞在を通じて、自国の常識は他国の常識ではないことを知り、自分とは違う考え方や価値観に触れることで、それまで無意識に引いていたボーダーの先に、無数に広がる可能性を意識する自分になった。そして何よりも、未知なる場所へ向かう為に、まずはチケットを買う勇気が必要だと知った。

中には何か強い意志を持って、このワーキングホリデーに挑む者もいるのでしょう。でも多くの若者達は、私たちのように、形の定まらぬふわふわとした、ただ温度だけは高いやり場の無い情熱を抱いて目的の街へとやってくる。毎年多くの若者が夢を託すこの制度は、もしかしたら、そんな不器用な彼らに、自分探しのチャンスを与えてくれるものなのかも知れない。実際、外国に住むことだけが目的だった私も、この一年間の経験は未だ自分の内側に色濃く染み付き、私の一部を作り上げている。そして、それから11年後、リネンの会社を立ち上げる、とても大きな原動力となっているのだから。
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読んだよ。うん、なんか小説できそう。その体験を素材に

No title

コメントありがとう。^^この小説、先はまだまだ長いけどコツコツト頑張るよ!しかし、いつLinenKidsが出てくるんだ?^^;
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